富士山頂に気象レーダーがあったことは知っていましたが、
それにしてもいったい誰がどうやって設置したのか考えるには至っておりませんでした。
富士吉田市立「富士山レーダードーム館」へ。

NHK「プロジェクトX」初回
「巨大台風から日本を守れ・富士山頂 男たちは命を賭けた」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/2818/x/1.html
http://v.youku.com/v_show/id_XMjc0MjMyMDIw.html
館内でビデオ上映されており、もう観始める前から泣いてしまいました。
昭和34年死者5千人となってしまった忌まわしい伊勢湾台風ほか相次いだ巨大台風が日本列島を襲う。
今後こんな犠牲を絶対にだしてはならない。
予防策はいち早く台風の発生と動きを察知すること。
そのためには日本で一番高い位置・・・富士山頂に気象レーダーを設置するのだ。
当時の気象庁藤原直人補佐官(作家・新田次郎)から建設依頼を受けた三菱電機と大成建設の技術者達が、果たして山頂のレーダーが東京まで届くのか?を確かめるべく登山初心者の身でありながら
真冬の富士山頂上を目指します。
遺書を書き残して富士山に登った社員もいました。
いざ建設工事が始まったものの、山頂で作業ができるのは年間で真夏の2ヶ月間のみ、
建設従事者達は過酷な労働環境と高山病に倒れ下山してしまいます。
レーダーを保護し風速100M以上に耐えられるドーム型のカバーをヘリコプターで設置するにあたり、
ヘリコプターの最大載積重量450Kgに対しドームは630Kgもあったため、副操縦席、ドアまでも取り外し
重さを軽減、そこまでしたのです。
そして昭和39年8月15日
名パイロットと呼ばれ朝日ヘリコプターに勤務していた元海軍航空隊教官・神田真三さんが
緻密な風速計算と高度な技術のもとにドームを設置しました。
戦争中特攻作戦に出撃する教え子達を見送った、今日この日が8月15日となったのは特別な思いがする、とインタビューでお話されていました。
「みんな若い命をお国の為ということで散らしていった。こっちは生き残っちゃったのだから、
目一杯の事やらにゃいかんわけですよ」(神田真三さん)
ドームが見事台枠に置かれ、技術者達が山頂から操縦席の神田さんに手を振っている映像がありました。
「ご加護を頂いた全てに感謝して、操縦席でありがとうと3回大声で叫びました」(神田真三さん)
ヘリコプターは無事空港に帰還し神田さんはは着陸後2分間、機内から姿を現さなかったそうです。
なんと豪快、大胆、過酷で危険、史上に残る大プロジェクト。
また注目すべきはこの工事に携わった計9千人のなかから、
1名たりとも負傷者をだしていない点だと思います。















by 両国屋
乳がん検診伝道師 高橋保正外…